「私の人生、こんなはずじゃなかった」と、ふと思う夜の話。
夜中、ベッドの中で。ふと、思う。
「私の人生、こんなはずじゃなかった」
20代の頃に、思い描いてた自分。あの頃の自分は、たぶん、今の私を想像してなかった。
もっと、稼いでるはずだった。
もっと、うまくいってる関係にいるはずだった。
もっと、自由で輝いてるはずだった。
なのに、現実はこう。普通のしんどい毎日。
誰にも、こんな気持ちを言えない。
「贅沢な悩みだよ」
「みんな、そんなもんだよ」
「無いものねだり」
そう、片づけられそうで口をつぐむ。
でも、今日はちょっと、ちゃんと言わせてほしい。
その気持ち、贅沢な悩みじゃない。
40代に入った頃から、たくさんの人が、夜中同じ気持ちを抱えています。
「こんなはずじゃなかった」の、正体
この気持ちの中身は、こうです。
20代の私と、今の私の間にぽっかり空白がある。
夢じゃなかったけど、信じてた何か。叶うはずだった何か。
それを、いつの間にか手放してた。気づいた時には、もう戻れない場所まで来てた。
その気づきが、夜急に襲ってくる。
仕事の途中でも、家事をしてる時でも、ふと、子供の顔を見てる時でも来る。
胸の奥が、すっと冷える。
「私、ここに、いるはずじゃなかった」
ここで、世の中の答えは二択になる
たいてい、世の中はこう答えてくる。
①「だから、今からでも夢を取り戻そう」
②「いやいや、今がいちばん幸せだよ。気づこう」
でも、どっちも、ちょっと違うと思う。
①は、まだ、何かを取り戻せるという嘘。
②は、今の自分を無理に肯定する嘘。
本当のことは、もう少し複雑です。
「諦めた」を、ちゃんと悼む
私が、たどり着いた答えはこれでした。
「諦めた何か」を、ちゃんと悼むこと。
20代の私が、信じてた夢。
30代の私が、選ばなかった選択肢。
今の私が、もうたどり着けない場所。
それらを、なかったことにしない。新しい何かで上書きしない。
「そういえば、あの夢、あったね」
「あの時、別の道を、選べたかもね」
「もう、戻れないんだね」
そう、ちゃんと悲しむ。
不思議なことに、ちゃんと悼んだ夢は軽くなって置けるようになります。
無理に忘れようとしたり、肯定しようとしたりすると、いつまでも夜中に、
襲ってくる。
今日、覚えて帰ってほしい、ひとつ
「こんなはずじゃなかった」と、ふと思った夜があったら。
それを、贅沢な悩みと自分で片づけないでください。
それは、あなたが何かを本気で信じてきた証拠です。
そして、何かを本気で諦めてきた証拠でもあります。
悼んでいい。
悲しんでいい。
その夜は、あなたが生きてきた重さを自分で認める時間です。
無理に、ポジティブに、なる必要は、ありません。

