違和感しかない。「根はいいやつ」って、結局何を評価してるの?
「根はいいやつ」を口にした瞬間、実はその人を守ってるんじゃない。
自分の判断を守ってる。
誰かをかばうときによく聞く。
「本当はいい人なんだけど」「根はいいやつなんだけど」。
でも、その言葉が出る時点で、その人はもう周りを傷つけたり、迷惑をかけたり、信頼を失うようなことをしている場合がほとんどだ。
本当にいい人なら、「本当は」なんて前置きは要らない。
「あの人は誠実だよ」「あの人は約束を守るよ」。そんなふうに、普段の行動だけで伝わる。
ここまでは、誰でも言える話。
本当に見るべきはその先にある。
「根はいいやつ」を一番口にするのは、赤の他人じゃない。
家族、恋人、長年の友人、部下を庇う上司。関係が深い人ほど、この言葉を使う。
理由は単純。
その人を信じたのは、他でもない自分だから。
深く関わると決めたのも、自分だから。
今さら「実はやばい人だった」と認めてしまうと、相手の評価だけじゃなく、そう見抜けなかった自分の判断まで疑うことになる。それが怖い。
だから「根はいい」という言葉で、相手をかばっているふりをして、本当は自分の過去の選択を守っている。
関係の深さは、信頼の証拠とは限らない。
引き返せなさの証拠のこともある。
だから信頼は、「本当はどんな人か」の話じゃない。
「行動をどれだけ積み重ねてきたか」の話ですらない。
本当は、「私は今、その人を守りたいのか、それとも自分のこれまでの判断を守りたいだけなのか」を確認する話だ。
「この人は安心して任せられる」と、行動だけで自然に思えるなら、それは信頼。でも、思えないのに庇いたくなるなら、その理由は相手じゃなく自分の中にある。
人を評価するときに本当に見るべきは、相手の性格じゃない。相手を庇いたくなる、自分の中の何か。
庇うことと、守ることは、違う。
おりょん

